Foreverと言わないで・・・  ― 3ヶ月の恋 ―




神は 越えられない試練を人には与えない

                              ― ユダヤの諺 ―






キブツ・エル ロームへ



 カーブに差し掛かったバスの車体が右へ大きく揺れ、そのせいで隣の席の人間にもたれ掛かられた隼介は、窓ガラスに頭を思いっきりぶつけて目を覚ました。
 「痛てェ―」そう言って隼介は顔を上げたが、暫くは今自分がどこにいるのかわからなかった。
 「済みません・・・。大丈夫ですか?」
 まだ自分よりもずっと若い、頭にキッパーを載せメガネを掛けた新兵らしき青年が申し訳なさそうに流暢な英語でそう言って、心配そうに隼介の顔を覗き込んだ。
 「あッ、あァ・・・、大丈夫だよ。気にしないでくれ」隼介は、笑ってその新兵に応えると、バスの窓から外を見た。
 すると、すぐ眼下にガリリー湖を見渡すことができる高台をバスはすでに走っていた。
 隼介は驚いたような顔をして時計を見たが、テルアビブのバス・ステーションを出て、すでに2時間半ちょっと経っていた。
 「チェッ、早いな。もうここまで来てたのか」隼介は、小さく日本語でそう呟くと、渋い顔をしてぐるりと車外を見回した。
 イスラエルという国は、四国と同程度の面積の国土を縦長にした国である。この国の主要な移動手段であるバスを使っても、一番北の避暑地メテゥラーから一年中温暖な一番南のエイラットまで、バスを乗り継いで移動しても8時間から9時間で行ける位の大きさしかない。
 この日の朝早く隼介は、テルアビブのセントラル・バス・ステーションからゴラン高原に向かうバスに乗ったが、1時間もしない内に朝が早かったせいでつい眠り込んでしまった。 本当なら居眠りなどせずに途中にある古い遺跡やエズレル平野を見ようと思っていた隼介だったが、結局何も見ないままガリリー湖畔まで来てしまい、とんだドジをふんだ― と、俊介は自分を呪った。
 それにしても数千年の歴史の詰まった国なのに、たった2時間半ほどの間にテルアビブからここまで来てしまうなんて、本当にちっちゃな国だよなァ― そう思い直して、窓からもう一度ガリリー湖の方を見て、隼介は「ハッ」とした。
 さっき寝起きに見た時はガリリー湖にばかり気を取られていたが、その湖の向こうにはヨルダンもシリアも、そして、北にはゴラン高原も見渡せるところにすでに自分は居たのだった。

 「イスラエルは、初めてですか?」
 その時だった。口をぽかんと開けて遠くの景色に気を取られている隼介を見て、その旅行者面が可笑しかったのか、隣の新兵が笑いながら話しかけてきた。
 「えッ?あッ、・・・あァ、この国には初めて来た。今ガリリー湖を直に見て、やっとイスラエルに居るって気が少ししてきたよ」
 「えッ?じゃああなたは、イスラエルに来たばかりですか?」
 「いや、今日で6日目、・・・かな。ずっとテルアビブにいたからね」
 「それなのに、エルサレムにもベツレヘムにも、もしかして行ってないんですか?」
 「あァ、行ってない。キリスト教徒でもないし、この国に居る内に行ければいいと思ってる程度だよ。ただこのバスは、ナザレを通過したんだろ。ついでだから、ナザレは見ておきたかったんだけどね」
 新兵らしきその青年は、隼介の顔を、信じられないというような顔で見返した。
 「あなたは、日本人ですよね?日本人って勤勉だから、この国には、興味のあるものが沢山あるはずなのに・・・。いったい何をしにイスラエルに来たんですか?」
 隼介はどう説明すればいいのか暫く考えていたが、今年の冬はヨーロッパがもの凄い寒波に襲われそうという予想だから、それを避けるために南に来たこと。それと、どうせならイスラエルという国に行けばキブツというコミューンがあって、そこだったらボランティアとして好きなだけ滞在できる― と、知り合いのオランダ人夫婦に教えられたことを話した。
 「テルアビブのキブツ・オフィースで手続きをするのと、雑用で3日ばかりかかってしまってね。そこで紹介されたのが、ゴラン高原のエルロームというところさ。知ってるだろ?」
 その新兵は「勿論」と言って頷いたが、すぐに「ヨーロッパから来たんですか。英語も凄く上手いし、どこの国で何をして働いているんですか?」と、急に興味のある顔になり矢継ぎ早に質問を浴びせてきたのには隼介の方が戸惑った。だが、隼介は「自分はヨーロッパに定住して働いている訳ではなく、長い旅を続けていて、その途中だ」と教えると、その新兵はますます興味が沸いたらしく、周りの仲間も呼んで隼介を取り囲むようにして質問攻めを始めたのだった。

 これまでに訪ねたどこの国でもそうだったが、「長い旅を続けている」と隼介が話すと、若い連中なら必ず興味を示してきた。おまけに英語が話せるものだから、よけいにそんな目にあいやすかった。
 だが、今自分を取り囲んでいるこの国の若者の違う点は、自由で平和な国の連中とは違い兵役中であり、戦時下なんだということを隼介は男性兵士一人ひとりが肌身離さず持っているライフル銃を見て実感していた。しかし、隼介を前にして目を輝かせているこの国の若者の、未知の国と自由な旅への憧れは、どこの国の若者達とも何だ変わりはなかった。
 黙って聞いていると彼らの好奇心は旺盛で、おまけにイスラエルの教育のレベルは高いので、いくら流暢な英語を隼介が話すといっても隼介が戸惑ってしまうような質問も多かった。
 「僕も兵役が終わったら、必ずどこかの国へ旅に出ようと思います。大学なんてその後でも、まったくかまいませんからね」その新兵はそう言って笑い、俊介にテルアビブの実家の住所を書いて差し出し、「よかったら訪ねてください」と言った。
 その新兵のイスラエル人は、週末の安息日を家族と過ごすために、テルアビブの実家に帰ってきたと話してくれた。
 テルアビブを出た時から、ゴラン高原に向かうそのバスの客の多くは、北へ向かうイスラレルの24、5名ほどの兵隊が占めていた。
 その殆んどは18、9歳の若い兵士で、どれが新兵でどれが2年、3年兵なのかは肩章を見ても隼介にはまったくわからなかったが、イスラエルの徴兵制度では男子は18歳から3年間の義務があり、女子も同じように18歳からだが21ヶ月間の義務があると聞いていた。
 そのバスの車内は、そんな同じような年齢の兵役中の兵隊が多かった。勿論中には若い兵士だけでなく予備兵として出ているか、或いは将校なのかはこれもまったく隼介にはわからなかったが、数人の年配の兵士もいた。
 そして、彼らに混ざって、若い女性の兵士もけっこう多く見かけられた。カーキ色の軍服は着ていても、そこに若い女性兵士がいるだけでそこだけ華やかな雰囲気となんとなく和やかな雰囲気を感じるのだが、もしかしたらそんなことを思っているのは隼介だけなのかも知れなかった。



 ユダヤ教徒にとっては聖地であり、キリスト教徒にとってはイエスキリストが数々の奇跡を行ったといわれるガリリー湖畔の町、ティベリア。そこから北に伸びる国道90号線にバスは入り北上して行き、ツファットという町にむかう国道89号線とぶつかってそこからさらに少し北に行ったところでバスはゴラン高原に上がる道に折れるが、バスはこの分岐点に着いてから休憩を取った。
 ここまで来ると、サウス・レバノン国境までは最短で20キロ。ゴラン高原にあるシリアとの暫定的な国境線までは、直線にして40キロを切る。散発的なテロ行為にいつも脅かされている場所に入ったことになる。
 隼介は、バスを降りると、一度大きく背伸びをして空を見上げた。11月も終わりに近いというのに太陽の光は強く、まともに浴びて立っていることができない程だった。
 「バスのドライバーは、20分休むと言ってたよなァ。これだけ暑かったら、エアコンの効いた車内の方がましだな・・・」
 隼介は、ぶつくさ言いながら辺りを見回した。
 主要道の分岐点にできた、ただのだだっ広い未舗装の広場に、雑貨屋を兼ねた何軒かの粗末なスタンドがある以外は何もないところだったが、以外に人は多く立ち寄っていた。その殆んどの客は、広場のあちこちに止まっている軍用車と、国道沿いに止まっている戦車や装甲車を乗せたトレーラーのドライバー達のようだった。
 さすがにここまで来ると、雰囲気が違って緊張感があるな― 隼介は、初めてまじかに見る戦車を横目に、そんなことを思いながら一軒のスタンドに向かって歩き出した。エルロームに着いて昼食にありつけるかどうかわからなかったので今のうちに何か腹に入れておこうと考えたのだったが、スタンドの前まで来て俊介は何を頼べばいいのか迷った。イスラエルに入って1週間足らず。まだこの国の食べ物のことまで調べる時間はなかった。
 「ヘイ、チャイニーズ。食事か?それともコーヒーか?」
 スタンドのオヤジは、隼介がヘブライ語で書かれたメニューしかないので困っているのかと思ったのだろう、気を利かせて向こうから声を掛けてくれた。
 「何が旨いの?あんたが思う、ベストの奴をください」
 「おい、あんた。チャイニーズじゃないな。もしかして、ジャパニーズか?英語の訛りが違うが・・・」」
 隼介は、笑って頷いた。

 「こいつは驚いた。こんなとこまで一人で来るジャパニーズなんて始めて会った。まァ、そこに掛けて待ててくれ」
 オヤジはそう言ってスタンドの側にある丸イスを指差すと、カウンター内のキッチン横で円筒状にした大きな肉の塊を棒に刺し直火にして焼いているのだが、その肉の塊から肉をそぎ落とすと野菜と混ぜたピタという大きな円形したパンに詰め込んでよこした。
 「我が家特製のシュワルマだ。こいつはなかなか旨いぞ。あんた、食べたことはあるか?・・・それにしてもお前さんは、いったいどこに行くつもりだい?」
 隼介は、物珍しそうな顔で話しかけてくるこの店のオヤジに、これからゴラン高原のエル・ロームというキブツにボランティアとして行くと伝えた。
 「ボランティアかい。そういえば、ここいら周辺のキブツにも、沢山若い連中が来ていたな。ここにもたまに立ち寄る奴がいるが、イギリス野郎の暇つぶしが多いな。何が目的か知らんが、もっとすることはあるだろうに・・・」
 オヤジはそう言うと、「これはサービスだ」と言って、ミネラル・ウォーターを差し出してくれたが、隼介は痛いところを突かれた気がして返す言葉も見つからず、「あァ、そうかもな・・・」それだけ言うと礼を言って近くの木陰のベンチに腰を下ろした。
 冬場を気候の良い場所で、自分の都合のいいように過ごすなんて、この国の人からすれば迷惑な話かもな?確かに理由が不純だよな― ピタをほおばりながら隼介は、少し自責の念にかられた。
 そして、ピタを食べ終わり時計を見ようとした時、北の方角がら爆発音に似た音が響き渡り、隼介は口にミネラル・ウォーターのビンを口に咥えたまま北の方向を振り返った。
 その音は三度四度と続けざま聞こえてきたが、それは紛れも無く戦車が砲弾を発射する音か、或いは迫撃砲から砲弾を発射する音に違いなかった。

 2年前の1982年。イスラエル軍は、サウス・レバノンのゲリラ掃討のため、再度国境を越えて侵攻していた。
 イスラエルの建国後、多くのパレスチナ人が難民となってサウス・レバノンに流れ込んだが、それ以来サウス・レバノンはテロリスト達の拠点となっていた。ここを拠点としてパレスティナ・ゲリラは、イスラエル北部のテル・ハイやキルヤット・シェモナーなどの町に攻撃を仕掛けていたのだったが、そのパレスティナ・ゲリラ掃討のためイスラエルは1978年にサウス・レバノンに侵攻した。だが、その侵攻に対して国連安保理は、イスラエルのサウス・レバノンからの撤退を要請。これを受けてイスラエル軍は一度は撤退をしたものの、サウス・レバノンに拠点を置くゲリラの後を絶たない攻撃に対して、1982年、ゲリラ掃討を理由に再度国境を越えてレバノンに侵攻していた。
 隼介は、イスラエルに入国してテルアビブに滞在中、英語放送のテレビのニュースで毎日のように流されるサウス・レバノンでのイスラエル軍とゲリラとの戦闘を、まるで遠い国の出来事のような感覚で見ていた。負傷した兵士を担いで走るイスラエルの若い兵士の姿や、戦死した我が子の棺にすがって泣き叫ぶイスラエル人の母親の姿も、自分が彼らの国に居るにも関わらずそれらはまるで、映画の中の出来事のようにしか、隼介の目には映つらなかった。
 しかし、いざこうして実際に戦争というものの発する生の音を聞き、すぐその近くに自分が存在している事実を肌で感じてしまうと、急速な勢いで隼介は怖さというものを意識し始めていた。
 オレはもしかして、思っていた以上に凄いところに来てしまったのかな?― 日本を出てすでに3年が経っていたが、ここまで来て初めて隼介の気持の中に、それまで海外にいて感じたことのないこれまでとは全く異質の緊張感が漂い始めていた。

 隼介がゴラン高原のエルロームというキブツに行くことになったのは、隼介からの申し出ではなく、たまたまテルアビブのキブツ・オフィースがその日にボランティアを申し出た数人の人間を振り当てた結果だった。
 ゴラン高原という地名は、勿論以前から隼介は知っていた。知ってはいたが、まさかそんな所にまでキブツが存在しそんな場所に飛ばされるなんて予想外だったことは確かで、キブツ・オフィースの担当者から、「君には良い場所をあげよう。ゴラン高原に行く気はないか?」と聞かれた時、一瞬隼介は戸惑った。特にこの日申し込みに来ていた連中の殆んどは、テルアビブよりも南の冬場でも気候の良い場所ばかり割り当てられていたので、冬場のバカンス的な甘い考えでいた隼介としては余計に困惑した。
 暫く考えていた隼介の頭の中に、まず最初に浮かんだのは1967年の第3次中東戦争の映像だった。それから時折シリアからテロリストが越境してきて、イスラエル兵に射殺されるというニュースもイスラエルに入って見たばかりだし、手付かずの地雷地帯があるという話も聞かされていた。
 隼介の心のどこかで、未知なる危険に対する愚かな憧れが頭をもたげたのは、その時だった。
 その瞬間、隼介の気持は固まった。。
 そのゴラン高原が、今はすぐ目の前に大きく被さるように横たわっていた。
 北にあるヘルモン山の麓から高原地帯が40キロに渡り南に延び、そこからガリリー湖に向かってなだらかに落ち込んでいた。
 その場所に立ってゴラン高原を見上げると、第3次中東戦争でイスラエルがこの場所に拘った訳がよくわかる。間違いなく敵がそこに立てば、この国を見下ろして優位に攻撃できる場所に違いなかった。



 バスは20分の休憩の後、国道90号線を離れ、ヨルダン川に向かって下り始めた。
 ゴラン高原に伸びる道は、一度海抜マイナス200メートルに近いヨルダン川まで下りてそこに掛かる橋を渡り高原へと上って行くが、国道90号線からヨルダン川までは高低差があるためバスはゆっくりと折れ曲がった道を下っていった。
 バスの車内は、目的地に近いせいかそれともバスの中にいる多くの兵士達にとって現実に引き戻される瞬間が近いせいか、話をする人間は殆んど見当たらなかった。
 そして、暫くするとバスの前方に、川をまたぐ鉄製の橋が見えてきた。
 この場所はガリリー湖の北約15キロの地点に当たるが、ガリリー湖が東西12キロ南北20キロの大きさの湖なのに、そこに注ぐヨルダン川の川幅は意外にも狭く、広い場所でも10メーターを少し超える位の川幅しかない。勿論春になって北のヘルモン山の雪解け水が流れ出すと、その水かさは想像以上に増し勢いのある川となるのだろうが、冬前のヨルダン川は大きな岩や石がゴロゴロするありきたりの川でしかなかった。
 隼介はそんなありきたりのヨルダン川の姿に意外な顔をしたが、よく見ると水の流れ方や岩や石のある川の風景が、何となく自分が生まれ育った日本の田舎の川に似ている気がして嬉しくもあった。
 バスは徐々にスピードを落とし、土砂を盛り上げて作った河原の道に入っていった。
 この川に掛かる橋はそこが軍事的にみて重要な場所であることを示すように、橋の手前には写真の撮影を禁止する看板が立っているし、その橋自体もよく戦争映画に出てくるような有事の際にはすぐに撤去できるような鉄製の仮橋だった。
 イスラエル人とアラブ人の戦争は、言い換えれば水を奪い合う戦争と言われる。その水が最も豊富な場所が、雪を被って地下水を生むヘルモン山から南に広がるゴラン高原である。1967年の第3次中東戦争まで、このヨルダン川から先はシリア領だった。そのシリア人の土地だった場所をイスラエルは攻略し手に入れたことで、水という絶対的な切り札も得たのだった。
 その橋を渡りながら隼介は、間違いなく自分が今、これまで自分が暮らしてきたどんな場所とも違う異質の場所に踏み込んだことを実感していた。

 「僕達はもう少しすれば駐屯地に着きますからこのバスを降りますが、どうかこれから先、良い旅を続けてください。それから、エルロームでの滞在が終わってテルアビブに帰ることになったら、一度我が家に電話でもください。僕が都合よく家に居るかどうかわかりませんが、家族はきっとあなたを歓迎しますから」
 バスが橋を渡り、上りにかかると、それまで黙って座っていた隣の新兵がそう話しかけてきた。
 隼介は、ガリという名前の18歳の新兵に、「これからどれだけの間エルロームに滞在するかは、行ってみないとわからないが、時間が許せばそうさせてもらう」そう言って手を差し出した。
 ヨルダン川を越えて上りにはいったバスは、意外に短時間で高地のなだらかな場所に上がる。それに伴ってゴラン高原が見渡せるようになっていたが、駐屯地は高地の入り口部分にあって、バスが近づくとすぐにそれとわかる位多くの戦車や重火器が目に飛び込んできた。
 隼介は、ここで全ての兵士達が、バスから下りるのだろうと思っていた。だが意外にもバスには何名かの兵士が残った。新兵らしき女性兵士達は降りたようだったが、年長の女性兵士達は殆んどが残ったままだった。
 隼介は、未だ緊張が続く場所なので、まだこの先にも駐屯地があるのだろうか?― と思ったが、それから先、バスが一ヶ所づつキブツに停車を始めると、残った兵士達は、一ヶ所に一人か二人づつ降りていったのだった。
 これは後からわかったことだが、イスラエルでは義務兵役後も男性は51歳、女性は24歳まで毎年年間最高で39日の予備兵として兵役に就く義務があるらしく、それはこういった国境に近い場所のキブツなどに滞在してキブツのガードという形で行われたりもするようだった。
 
 イスラエルが、1967年の第3次中東戦争でゴラン高原を占領して、17年が経っていた。
 この世界的にも有名な高地に、いったいどれだけの変化が見られるのか?戦争というもののいったい何がわかるのか?― 隼介は、内心わくわくした気持だったが、部外者面をして実は好奇心だけでここまで来た自分を、もしここで緊張を強いられつつ暮らすイスラエルの人が見れば、きっと失望するだろう― それは隼介にもわかるので、隼介は、極力平静を装って外を眺め続けた。
 しかし、、駐屯地を過ぎたあたりから、隼介が前々からある程度予想していた通り、車外の風景はヨルダン渓谷の向こうのイスラエル本土とは全く違う様相を見せ始めていた。
 隼介の目にまず最初に飛び込んできたのは、道から100メーターばかり離れた所にある、カモフラージュ用のネットを被ったシリア方向の空を向く大きな榴弾砲の砲身だった。
 「すげー」思わず隼介は、声こそ出さなかったが、心の中でそう叫んでしまっていた。それはまさに、これまで何度か見た戦争映画のセットとまったく同じものだった。
 そして、それからまた暫く行くと、今度は戦車基地と思われるものが道から少し離れた場所にあって、十数両の戦車が整然と並んでいたが、その様もやはり隼介には人殺しの道具ではなく、隼介の好奇心を満足してくれる格好の良いホビーのようにしか映らなかった。
 バスはそんな隼介を乗せて、徐々に高原の最深部に向かって進んで行き、ゴラン高原のほぼ中央にあるエーンジヴォンというキブツを過ぎるころには前方にシリアの大地を望むことができるようになっていた。ここまで上がって来れば、1974年に設けられた、シリアとの停戦ラインのすぐ側まで来たことになる。
 隼介は、フェンスで囲まれた停戦ラインを前方に見ながら、テルアビブで受けた注意のことを思い出していた。それは、「ゴラン高原に行ったら、牛の放牧されていないような場所には間違っても入るな。そこは手付かずの地雷原だ」と聞かされていたことだった。
 その地雷原を示す黄色に赤い三角のマークの入った看板は、停戦ラインに近づくにつれて確かに目立つようになっていた。それに、見渡す限り停戦ラインに沿った全ての丘には、シリアを睨む監視所があることもわかった。



 隼介の行くエルロームというキブツは、ゴラン高原でも北部に位置し、シリアやレバノンと国境で裾野を分けるヘルモン山からは直線で15、6キロ南にあたる。また、シリアとの停戦ラインまでは直線で5、6キロの距離しかなく、いたって辺鄙な場所といえる。
 ちなみにエルロームからさらに4キロ南に下がった、ちょうどエーンジヴォンとエル・ロームの間にはメロムゴランというキブツがあるが、このメロム・ゴランの側にはゴラン高原の中でも特に目立つ高い丘がありシリアを睨むイスラエル軍の大きな監視所を見ることができる。そして、その高い丘のすぐ西側下にあるのが国連兵力引き離し監視軍のイスラエル側キャンプ、ジウアニである。
 そのメロムゴランというキブツの側をバスが通過する時、キブツのすぐ側に、幅500メートル長さ1キロほどの湖があることに隼介は気づいた。
 平均海抜600メートルに広がる台地は、火山性の水はけの良い土壌で、大小の火山岩や玄武岩がゴロゴロする土地は見る限り決して肥沃な土地には見えない。そんな場所にこれだけ大きなプールが出来ているのだから隼介は少し不思議な気がしたが、カバンから地図を引っ張り出して見ると、ここから南のヨルダン国境までの間には数多くの大小の湖があり、何本もの小さな川がゴラン高原の台地からガリリー湖に注いでいるのがわかった。イスラエルとシリアにはここは重要な水源地だが、イスラエルがゴラン高原を占領する以前は、ヨルダンにまでこの場所は重要な水源地となっていた場所でもある。隼介は、ゴラン高原に来て初めて水の存在をこの時意識したが、水に絡まる血塗られた歴史のことが頭に浮かぶと嫌な顔をして大きな溜息をついた。
 「お客さん、エルロームに行くんだったよね。そこの村を過ぎたらもうすぐだから、そろそろ準備をしてください」
 バスの前方にそびえるそろそろ新雪を被り始めた様子のヘルモン山を見ていた隼介に運転士がそう声をかけてきたのは、すぐバスの前方に廃墟と化したシリア人の村が見えてきた時だった。

 「あァ、わかりました。ありがとう」
 荷物を詰め込んだバック・パックは、乗り込む時に預けてバスのバッゲージ・ルームに入っていたので、準備はこれといってなかった。すでにバスの乗客の殆んどは降りていて、残っていたのは隼介と、アラブ人らしい老人の男性客一人だけだった。
 エルロームを過ぎるとヘルモン山の麓の終点までバスが停まるキブツは二ヶ所だけだが、イスラエルがゴラン高原を占領後も居続けるシリア人の部落は、大きいものだけで三ヶ所あった。この老人もその内のどれかに帰る途中だろうが、前から2列目の席に座る隼介が後ろに座る老人を振り返ると、老人は小さく右手を上げて挨拶をしてよこした。
 隼介は同じように右手を小さく上げて笑ってそれに応えると、向き直って、徐々に近づいてくるその廃墟と化した村に興味深そうに目をやった。
 家屋という家屋は殆んどが原型を留めない位に破壊され、残るコンクリートの柱や壁には無数の弾痕が蜂の巣のように残っていた。すぐ側には攻撃で破壊されたソ連製のシリア軍の戦車が赤く錆びた状態で放置されたままだった。おそらく数十軒の家があった村だったのだろうが、すっかり草に覆われてしまった村を貫く通りが17年の歳月を物語っていた。
 バスはその部落を通り過ぎ、カーブを曲がってなだらかな坂を上ると、前方に集落が見えてきた。それがエルロームだった。
 スピードを落としたバスは幹線道路から左に折れ、キブツに向かって入っていった。
 50メートルほど入った所にゲートがあったが使われている様子はなく、バスはそのまま200メートルほど奥のメイン・ビルの近くのロータリーを回りかけて停まった。
 隼介は運転手に続いてバスを降り、荷物を受け取ると、そこに立ってバスを見送った。
 それからバック・パックを担ぐと、メイン・ビルのエントランスに向かって歩き出した。
 

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